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創価彼との将来に悩むログ

無宗教アラサー女が創価3世の彼との将来に悩む過程の記録、頭の中の整理、捌け口。

聖教新聞を実際に見た話

今回はわりと批判的なないようになります、多分。

 

私が週末に予定がある日が続いてなかなか会って話せなかったので、会うまでに電話で話たりしていたんだけど、やっぱり一人で考えてるのはつらいし疲れる。

 

そういう時に心の支えになってくれるのはやっぱり彼の存在でした。彼のことで悩んでるのに皮肉なものだな!!!!!

 

私が彼と向き合って創価学会のことを知っていく、批判的なものも読むし、実際彼の話を聞いたり自分の目で見たりしていきたい。それは全部等しく、私にとっては情報のひとつにすぎないし、そこから何を重要と思って選び取るかは私の自由にさせてほしい。

 

というようなことをとりあえず彼に伝えました。

伝えることに意味があったのかはわからないけど、自分自身の決意?として。

 

彼はわかった、でも(悪い)情報を鵜呑みにしないでほしい。と言ってました。

その情報っていうのは私にとっては創価側の意見のことでもあるんですけどね!!(笑

多分、彼も頭では理解できても心で同意できないんだろうなと思います。

 

アンチ創価側の意見はいろいろ散らばってるけど、じゃあ実際の創価学会を見るためにどうしようかと考えたときに、一番手っ取り早く知ることができるのがまず聖教新聞だと思いました。

ちょうど彼の家にも行く機会が多いので、今度家に行った時に見せて欲しいと伝えました。

 

彼は、ここにはこういうことが載っていて、日ごとにこういう項目が載るんだよ、こういう普通の記事とかもあってね、と事細かに説明してくれました。ありがとう。ごめんね。全然耳にのこらない。

 

見せて欲しいとは言ったものの、そもそも宗教云々に興味がない私が聖教新聞に興味を惹かれるわけがなかった。。。

 

 

とりあえず、彼が用意していてくれた聖教新聞PR版なるもの(初心者向けの聖教新聞簡易版みたいなやつ)をもらって帰りました。

 

家に帰って、一番気になっていた信仰体験のページを読みました。

内容は、簡単に言うと、息子は不登校引きこもり、夫はギャンブルで借金をこさえ、希望を失った女性会員の話で、ご本尊様に向かって唱題をし信心をすることで反省をしたり、自分の行動を見つめ返し、それによって息子も次第に自分の生活意識を見直すようになり、結果として大学に合格、(母がなりたいと言った弁護士の夢を代わりに)司法試験にも合格、今は幸せな生活をしている。。みたいな感じでした。

 

確かに、唱題することが自分のことを見つめ返し反省したり、新たな目標を立てたり、じっくり考えることで気づくことがあったりする大事な時間にはなると思います。

でも、なんというか、唱題をすることによって具体的にどう気持ちが変化しどのような行動をしてどう変わったのか、が端折られている感じがしました。

私は本来そこが一番大事な部分で励まされる部分ではないのかなと思います。

そこが端折られることによって、人の目には「一生懸命祈って唱題したら幸せになれた!」と映るのではないかなと思います。少なくとも、私はそう感じました。

気持ちが大事と(彼は)言っているわりには、結果主義のように思えて、違和感を覚えました。

 

逆に、創価の人達はほんとにこの記事で学会の良さを伝わると思ってるのか??伝える気があるのか?

いくら簡易版だとしても、本当に良さを伝えたいのなら、体験の結果だけでなく過程でもっとしっかり説明してほしい。これを読んで、すごい!自分もがんばって勤行しよう!!と思うとすれば、なんて浅はかな・・・私はそう思いました。

 

この記事で伝えたいのはそういうことじゃないのかな・・・私の考えが屈折してるだけなのかな・・・正直内容の薄さにがっかりしました。もっと熱量のあるものだと思ってた。私が期待しすぎただけなのか・・・

これで入会しようと思う人がいたとして、それは彼の言う「本当に良いと思ってからやってほしい」に当てはまるのだろうか。

やってみて次第に良さを感じていって欲しい、そう言われたとしても、やっぱり「良いと思ってから」という部分には反すると思います。

 

 

これを彼にどう伝えたらいいものか。余計なことは言わず、私の心の内だけに閉まっておく方がいいのかな。。うーーーーん。

 

 

あと、やっぱり自分の家に聖教新聞があるのが気持ち悪いなと思う。どうしても。

前に職場で自己啓発の思想寄りな本をもらったことがあるけど、目につくところに置いておくのが嫌で、押し入れの奥にしまったことがあります。私は人生を豊かに!とか幸せになるために!とか、具体的な方法論ではなく思想的な意識高め?な自己啓発みたいなものにとても嫌悪感を抱きますし、気持ち悪いなとすら思うタイプの人間です。

自分でもそれが何故か聞かれるとわからないんですが、気持ち悪くなるんです。

 

入院ができるタイプの大きい病院に長くいると、気分が悪くなったり、貧血を起こしたりするんですが、ちょっとそれに似てる。

 

 

小さい子供が「ピーマンキライ!」ていうのと同じで、特に経緯や原因はないけど苦いものが苦手だったり、食べ物の好みだったり、多分そういうのと同じなんだろうなと自分の中では思ってます。

 

 

それってつまり、知ったところで受け入れられないんじゃ。。。

 

これからも一緒にいるために、二人で一番良いと思える着地点をみつけるはずが、その着地点が別れになりそうで、知るのがこわくなってしまいました。。。

 

 

ここ最近、本を読んだり、新聞を読んでみたり、彼と話し合ったり、情報を一気に得すぎて考えることが多く、疲れてしまったので、何も考えなくていい時間が欲しい。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母に話した時のこと

 

一度、別れようか考えて、母に相談した時の話です。

 

母の世代は創価の人たちだ活動的だった世代で、学会員の人たちは周りに結構いるみたい。(言われるまで知らなかった)

 

だから、親に相談したら猛反対されたって話をよく見かけるのかな。。

 

私の母はいい意味で放任主義(けして見放すわけではない)で、物を自分の意見としてハッキリ言うタイプの人間なので、「私のしたいようにしたらいい」と言われるのは予想していました。

 

それは予想通りだったんですが、アンチよりの憶測が多い私の話を聞いて、創価学会を擁護するようなことを言われたのが想定外でした。

というか、人に相談して初めて「やめたほうがいい」と言われなかった。。

 

あまりにも「それは違う」というようなことを言われるので、実は母も学会員なのか…?!って頭をよぎりました(笑)

 

 

母の意見は、

 

「確かに大変だとは思う、それが耐えられないなら無理なんじゃない?、要はそれ以上にその人自身に価値を見出せるか、尊敬できるかどうかじゃない?、宗教は悪いことではない、やり方を間違う人がいるだけ、宗教だけでその人の価値を決めてはいけない、あんたがしたいようにしたらいいんじゃないの、結婚なんて博打だからね」

 

要約すると、こんな感じでした。

 

私が不安に思ってることとか、創価に対して抱いてる気持ちを言うと、そんなん他の宗教も同じだよ、と。

 

宗教(創価に限らず)のこういう所がいやだ、とマイナス面を話す私に対して、母は「でも逆に言えばそれってこういうことだよ」とプラス面を話す。

 

なんか途中から、彼じゃなくて母と別れるかどうか、宗教についての話し合いをしてるみたいでした。

 

母の周りには今も創価学会の人がいるようで、毎回選挙もお願いされる(軽く流してると言ってた)し、以前誘われて会合にも行ったことがあるらしい。

こういう会があるから来てみて欲しい、と言われて、付き合いで行った。その人はもちろん良い人だし、そこで会って話した人もとても良い人で、善意で自分の良いと思ったことを勧めているだけで、強引な勧誘をされることはなかった。

と、いうこともあったし、逆に、

料理教室をやるからと言われて行ってみたらセミナー?のような会で、料理なんてせずにビデオを見せられたり、聞いてもいない話を聞かされたり、体験談の発表を聞いたりしたこともあったらしい。

 

母の宗教への価値観も私と似たところがあって、他人がなにを信仰してようと別にその人にとってそれが良いこと(他人に迷惑をかけないこと)ならばいいのではないか、という考え方です。

 

普通、人間はどうしても自分に甘く、何かに悩んだ時に楽な方へ流れてしまいがちです。

でもそういう時に、自分を律するための、ある意味ストッパーになるのも宗教の良いところのひとつだと思う。やり方によっては悪くもなるけど、逆に言えば良いものにもなる。そう言っていました。

 

宗教はその人のひとつの価値基準ではあるけど、それだけがその人の価値ではない。

 

 

まあ確かにそうだけど。。。。。

 

 

私自信「信仰は人の自由」と思っていることは事実ではあるけど、やっぱりどうしても偏見の目があるのだなあと改めて思いました。

 

本を読んだり、ブログやネットに書いてあることを読んできた中で、創価側にもアンチ側にもどちらにも偏らない意見を初めて聞いた気がしました。(身近な人の意見だから、というのもあるのかもしれないけど)

 

 

 直接言われたわけではないけど、「別れると決めるのは早いのではないか」と言われてる気がしました。(いい歳だし早く結婚して欲しいのかなあとも思ったけど)

 

母は私が一番尊敬している人で、離婚も経験して、父親からの援助はほぼ無い状態で私と弟の2人を育ててくれて、結婚(から離婚後)の苦労をよく知る一番身近な人なので

 、正直母の意見は私にとってすごく大きいというか、重く刺さりました。

 

(あと、私の話を聞く限りではとても良い人そうだし、真面目そうな人じゃん、とも言ってました。確かにそうなんだけど、私の創価ってどうかと思う。。っていう話の中からその部分をくみ取られて、好きだからそう思うとかじゃなくて、やっぱり他人から見ても(実際会ったわけじゃないけど)そうなんだな・・と思ってしまいました。なんか惚気みたいだけど)

 

それで、もう少しちゃんと話してもいいのかもしれない、と思い直し、彼からの電話を受けて話したというのが経緯です。

 

離婚をした時期、私が小学生だったのもあったし、今までこういう話をゆっくりしたことがなかったので、改めて父との離婚の経緯とか今父に対する思いとかを聞いて、なんというかうまく説明できないけど、我ながら理解のある尊敬できる母親だな。。と思いました(笑)

 

 

結局は「私が無理なら別れたらいい、したいようにしなさい。」というスタンスなので、今は彼の家に行くとかいう話をすると「あ、まだ別れてなかったの?(笑)」とか言われますが、要するに、母の意見は私にとって効果絶大ということでした。

そして、この母親から産まれてよかったと思いました(笑)

母は偉大!!!!お母さん生んでくれてありがとう!!(笑)

 

 

 

なんだか話が逸れましたが、身近な人生経験の先輩として、これからも母には相談していこうと思います。

母にも生んでよかったなと思ってもらえるような人間になりたいなと思いました。

 

彼が話してくれたこと

彼とのやりとり

 

前記事で触れた話し合いの際に彼が話してくれたことをまとめます。

 

◆彼が信心するまでの生い立ちと、彼の家庭環境

 

・父側の祖父が学会員の3世

・母は結婚と共に入会、始めは活動をしていなかったが、父の仕事がうまくいかずふさぎ込む時期があり、その時に助けになったのが創価学会だったことがきっかけで活動するようになる。

・実家では両親合意で会合を行うこともある

・姉の旦那さんは無宗教(最近出産したばかり)、兄の彼女(両親に紹介済)も無宗教

 ・彼本人は大学までは会合も行ったり行かなかったりで特に信心していたわけではなかった

・大学で一人暮らしを始めた時に、その地域の学会員に(人の縁的な部分で)とてもお世話になったのがきっかけで信心・活動するようになる

 

 

◆彼の現在の活動状況

 

・毎朝晩の勤行(お題目)※私といる時はしない

聖教新聞の購読(家に結構な量が溜まっていて、ビニールがかかったまま読んでなさそうなのも結構ある)

・週1ぐらいで会合に参加(たまにそれで予定を合わせられない時もあるけど、私との予定を優先させてくれる時もある)

・月1で夜の警護?(会館の受付とか・・・って言っていた)をしている

・今は折伏はしていない

・選挙は自分を学会員だと知っている人にはお願いする(毎回気が重いと言っていた)

・クリスマスなどのイベント事は積極的ではないが、しないわけではない。お寺や神社は行くことはできるけど、お参りはしない。(まだ知らなかった時に一度お寺についてきてもらったことがあるが、お参りする私の横で突っ立っていた彼に違和感を覚えたことがある)

 

 

◆彼の信仰のスタンス

 

※これはまだ話し合い段階であり、現時点で私がそう理解していること。真意かどうかはまだ探り中。

 ※下線は私の憶測を含む

 

信心するきっかけになったことや、信心してからも(転勤先など)創価というネットワークのおかげで助けられてきたことが彼にとっては大きいようで、彼曰く、「人の縁があるあたたかい場所」である。

自分も人の為に役立っていきたいし、大学時代にお世話になった地域で恩返ししたい気持ちが強い。(現に転勤先として希望を出している)

→会合に参加している理由になっているのかも

 

創価学会の教えについては、あくまでも自分の考え方の基となるもので、創価学会の考え方=自分の考え方ではない。

自分と自分の周りの人たちが幸せになるためのもので、そのために頑張っている。

疑問を感じることはあるが、そこも含めてもっと勉強をしていこうと思うと言っていた。

 

勤行についても、「願いを叶えるためのもの・祈るもの」とは思っておらず、それをすることで自分の気持ちの切り替えだとか、「1日頑張ろう!」と自分を律するためのようなものであると言っていた。

 

 また、今年から新聞を読んで、いいなと思った言葉とかを切り抜いたりメモしたりするノートを作ったと、言っていたけど、多分それも聖教新聞のことなんだろうな、と思う。

 

 

◆私が彼に質問したこと

 

今はただ漠然と”もし結婚したら問題”が不安で仕方なかったので、ネットで見た情報を頼りに彼に簡単に質問したこと。

 

 「結婚したら私も入会しないといけないの?」

 「入会しなくてもいいし、勧誘もしない。もし入会するなら、自分で良いと思ってからにして欲しいし、逆に良いと思っていないのに入会するのは違うと思う。宗教は軽い気持ちでやるものではない。」

 

「結婚式は創価のやり方でやるの?」

「そうしている人もいるけど、必ずしもそういうわけではない。ただ、牧師さんとかを呼んだりすることはできないから、人前式という形にはなるけど。現に姉の結婚式(相手は無宗教)は一般的な式場で友人も呼んで普通の人と変わらないやり方だった。」

 

「 お金はかかるの?いくらぐらい出すものなの?」

「年に1回財務があるけど、寄付っていう形で必ず出さなければいけないわけではない。自分もしているけど、自分は生活が第一であっての宗教だと思うから、負担がかかるような額ではない。もし結婚したらお金の管理は(私)に任せたいと思っている。」(ここは私の感覚がわからないから変に誤解させたくなかったのだと思うけど、金額までははっきり答えてくれなかった)

 

「家に学会の人が来たりするの?」

「家にくることはない(断言)。家で会合をしている人もいるけど、うちではやっていないし、結婚しても(私)の了承を得なければやらない。実家では会合することもあるけど、それは両親合意の上でやっていること。」

(私が一番知りたかったのは「家に学会の人が(勧誘に)来たりするの?」だったのだけど、、、この時はちゃんと聞けなかったので、また次回リベンジします。。)

 

 

 

 

彼から話を聞く限りでは、私も宗教の在り方としては理解できなくはなかった。なんというか、まあ宗教ってそういうものだろうな、と思った。

 

話す前に、あまりにも創価学会側に偏った意味のわからないことを言われたら、愛想が尽きるかもしれないとも思っていたけど、なんだか拍子抜けした。

 だからこそ私のつるつるに近い脳みそでこれを論破しようとするのはとても容易いことではないな、とも思った。(別に論破しようとしてるわけじゃないけど)

 

彼の話してくれたことを理解はできるけれど、アンチフィルターのかかっている私の耳では彼の言葉が100%信じられなかった。本当に信じていいのか?拒否されないように選ばれた言葉に騙されているだけなのでは?という気持ちがどうしてもある。

 

彼が今まで創価学会の話をしなかったのは、やはり知られて拒否されるのがこわかったからだそう。話を聞く限りでは過去にそういう経験があるようにも聞こえる。

私が将来を不安に思っていることを打ち明けたあとに会った時、何も話さなかったのは、私が何を不安に思っているかわからなくて、何から話せばいいかわからなかった、急に「創価学会はね・・」と、私の不安と別ベクトルの話を一方的にしても余計に怖がらせるだけだと思ったし、理解を強要しているみたいになるのが嫌だったから、と自分から話せなかったことを謝ってくれた。

 

話し合う最中も、私が何か話そうとすると、自分が話そうとしていたことは一旦ひっこめてちゃんと聞く姿勢をとってくれる。

付き合った当初からそうなのだけれど、彼はとても寛容で優しく、私の意見をいつも尊重してくれる。

話し合ったことで、そのことを再確認したし、こういう他人に理解を示そうとしてくれるところだったり、人への恩を(社会人なので形式上な時もあるけど、それでも基本的には)重んじるところを好きになったのだなと改めて思った。

 

 

私が創価学会のことを知らないせいで、話を詰めることができない。

何から話せばいいのかわからない私と同様に、彼もそうなのだろう。

私はずっと、彼から話を切り出してくれることを望んでいたけど、嫌われるかもしれないと思うことを自分から話すことは簡単ではない。

話し合いをする上で、まず私が不安・疑問に思うことを彼にぶつけなければ話が進まないと思った。とても当たり前のことだ。

 そのためには、創価学会をもっと知る必要がある。

 

正直、創価のことを考えている時はとても疲れる。私の性格上、考えすぎるところがあり、そういうスイッチが入ってしまうとどんどん深みにハマっていく。

彼が創価だと発覚してからは、ずっとそのスイッチが入りっぱなしで、「もう疲れた、そもそも悩む必要があることなのか?やはり別れた方が・・・」と何度も思った。

 

彼は「(私)のことを大事に思っている、こんなに人を思ったことは今までなかった。ちゃんと将来のことを考えて付き合っているし、時間はかかるかもしれないけど、少しずつでも不安を取り除いていけるように自分もちゃんと向き合っていく」と言ってくれた。

 

だから、私も自分のできるところまでちゃんと彼と創価学会に向き合っていく決心がついた。

それでこのブログを開設するに至ったわけでございます。。

 

 

 

 

 

創価発覚から現在まで

彼とのやりとり

まず、彼が創価であると発覚してから現在までのことを整理したいと思う。

 

その前に簡単に私と彼のスペックを説明

 

◆私

20代後半アラサー、OL、無宗教、オタク、実家暮らし

 

◆彼

20代後半アラサー(私のひとつ下)、創価3世、一人暮らし(転勤で今の地に来てちょうど2年くらい)

 

 

 

 

彼が創価だと発覚したのは付き合ってから4か月程経った頃。

1人暮らししてるのに、なかなか家に呼んでくれず、少し不信に思っていたところはありましたが、元々自分の家に人をあげることを好まない人なのかな?ぐらいに思っていた。

クリスマスに初めて彼の家に行くことになり、やっと呼んでくれた!!とウキウキしていた私。

家に着くと、彼から「仏壇とかあるけど気にしないで。親が創価学会だから。」と一言。

無知すぎる私はその時点で「ふーん」ぐらいの反応しかできず、流してしまった。

 

私の駄目なところのひとつなのだけれど、自分の興味のないことにはとことん無頓着で、その時は恥ずかしながら宗教のことについては本当に無知だった。(今もですが)

信仰は個人の自由だし、ぐらいにしか思っていなかった。しかし、あまりよくない噂も聞いたことがあったので、気になってネットで創価学会について調べた。

すると、出るわ出るわ批判の山。

 

 

主に「彼と結婚をする可能性があり、自分にどのようなことが起こるのか」「創価学会とは」という視点でざっくりとした情報を得た。

今までずっと自分とは関係のないことと思っていことが、急に自分の目の前に問題として現れ、とても衝撃だったし、ショックだった。

 

その時はどう考えても、「別れた方がいい」という結論に行きついてしまい、バッドエンドが張り巡らされた乙女ゲームのような気がした(笑)

ただ、もう彼のことを好きになってしまっていたし、つい昨日まではあんなに楽しかったのに・・・という気持ちで、現状が受け入れ難く、別れたくないという気持ちがどうしても強かったのも事実。

ただ、付き合っていくだけならまだしも、結婚となると話は別。

私の中で絶対であるのが「将来結婚できる未来がないのなら別れる」ということだった。

 

カミングアウトしたことで私に対し勧誘であったり、宗教的な働きかけをしてくるようであれば諦めもつくだろうと思っていた。

それから、私から彼に創価の話をすることになる1か月半の間、一言たりとも彼の口から創価の話を聞くことはなかった。むしろ、カミングアウトしても尚、隠されていたように思う。

彼が何も言わないので、私も余計に言い出しづらくなった。

私があまりにも無知で一気に情報を入れた為に、自分でも混乱しており何から話せばいいのかわからなかった。

いままで知らなかったにせよ、幼い頃から周りが創価学会という環境で育ってきた彼を好きになった。創価だから別れると言ってしまうことは、彼自身を否定することになる。偽善かもしれないけど、それはしたくなかった。

それに、突然のカミングアウトに状況が受け入れられなかったのも事実。

もっと一緒に行きたい場所も、したいこともたくさんあるのに、そんなに急に別れを決断することは無理だった。

 

今思っても、かなり混乱していたのだろうと思う。私の中では「別れる」か「私が入会するか」しかない・・・というとても極端な思考だった。

 

私が創価を良く思っていないことを早く話さなければいけない、それによって少なからず今までの関係が壊れてしまうのと、何も話さずにいる罪悪感とで、彼と一緒にいる時間が幸せであればある程辛い気持ちになった。

 

この時に、ちょうど彼の誕生日を兼ねて旅行を計画していたので、せめてその旅行は何も考えずに楽しみたいと思い、話をするのは旅行が終わってから、と自分の中で決めた。

 

旅行は楽しく終え、自分で決めていたことだったので、今思っていることを彼に話すことにした。

 

私が創価学会に対して良いイメージを持っていないこと、でも信仰は個人の自由(勝手)だとも思っていること、自分は入会する気がまったくないこと、彼との将来を不安に思っていること、二人の将来に結婚がないなら別れたいということ。

 

どう言えばいいのかわからなかったし、何を話すべきかもわからなかったけど、とりあえず「今は漠然と不安に思っている」ということを話した。

 

彼からは、自分が今学会員である生い立ちや、今活動している内容をざっくりと教えてもらった。(これは次に詳しく書きます)

そして、自分から話せなかったことを謝ってくれた。

やはり、自分が創価学会員であることで拒否されるのがこわかったと言っていた。

もうひとつ、「もっと好きになってもらえるように頑張る」とも言っていた。

正直、私が言ってるのはそういうことではない、どうしてそういう思考になるのか?と思ったけど、私の伝え方がわかりにくかったのかもしれないと思い、ひとまずおいておいた。

 

とりあえず、話せた!ということで少しすっきりしたのと同時に、話してしまったことで遂に二人の問題として現実になってしまったことで、なんというか、今までみたいな会いたい!とか好き!って気持ちがスーーッと引いた感じがあった。うまく言えないけど。それによって、更に自分がどうしたいのかわからなくなってしまった。

 

 

それから一週間後に、また彼の家に行った。

彼から何か話があるだろうと思っていたけど、何も話はなかった。私からも何も話さなかった。

ただ、彼の態度は明らかにいつもとは違和感があった。なんというか、私に気を遣っているような感じ。

待ち合わせの場所に向かうと、いつもは私の方が先に着くのに、珍しく彼の方が先に待っていて、更に小さな花束をもらった。(ちょうど半年だったので)

いつもと違うし、どうかしたのか?と聞くと「何もない、いつもと同じ」と言うし「誕生日迎えたからちゃんとしようと思って」と言っていた。

その日は結局何も話さないまま帰った。

 

 

私は2か月間ずっと創価と彼のことで頭がいっぱいで、他のことが手につかなかったし、何度もひとりで泣いたし、悩んでどうしたらいいのか考えた。(結局どうしたらいいのかわからないままだけど)

そのことを彼はわかってくれているのだろうか?私が泣きながら話す姿を見て、何を思ったのか?これからのことをどう考えているのか?

彼が何を考えているのかわからなかったし、彼にとっては私が思ってる程の問題ではないのかもしれないと思った。

 

そう思うと、今後もこういうことで悩んで、そのたびに乗り越えていく自信と覚悟が無くなってしまった。

いずれにしても、こんなことで心が折れていてはこの先もうまくいかないと思ったし、もう悩むこと自体が嫌だと思った。

 

そこで、次に会った時に別れたいと言おうと思った。

 

今まで、別れた方がいいのだろうと思ったことはあっても、別れよう!と思ったことは一度もなかった。

一旦別れようと思うと、なんだか気持ちが解放された気がした。

私は多分一人でぐるぐると考えすぎて、悩むことに悩んでいたのだと思う。

 

別れたいと言おうと思った私は、自分から彼に連絡を取るのを控え、返信の内容でも距離をおいた。

すると、私の態度に気が付いた気づいた彼から電話があった。

 

そこで、初めて話した時よりも、もう少し掘り下げた話をした。

私にとって宗教が受け入れ難いことだともう少しはっきり伝え、別れを考えていたことも話した。

彼も信仰に基づく自分の考え方を話してくれたし、それは理解のできないもではなかった。

それに、私が思っていたよりもはるかに、彼が私を大事に思っていてくれていたことを知って、不覚にも少し感動してしまった。

言葉でなんていくらでも言えてしまう、でも私がきちんと自分のことを話さなかったこともあるし、もう少し彼を信じて話し合いをしてもいいのかもしれない、とも思った。今の時点では圧倒的に話し合いが足りていないことに気が付いた。(我ながら気づくのが遅い)

(この考えに至るには、母に相談した際に言われたことが大きく関わっているのだけど、それもまた別で書きたいと思う。)

 

結局別れるのは保留にした。

自分が悩んでいることに対し、彼にしてもらうことばかり考えていたけど、私が受け入れていかなければいけない面もたくさんあるのだと思った。

そのためには、まず知らなければいけない。

知らなければ、何が不安なのかもわからないし、自分が不安に思っていることがわからなければ、何も解決しないのだ。

もちろん彼にがんばってもらわなければいけないこともたくさんあるだろうけど、私が自分から動いて、していけることを考えようと思ったし、その先でどうすべきか考えようと思った。

 

これが今の現状です。

まだ、何から話せばいいのかわかっていないけど、自分が無知すぎるのでとりあえず、もっと勉強しなければと思う。

 

 

そして、今までの経緯を書いていて、いかに自分が何もせずただ悩んでいただけだったかが分かった・・・そして文才のなさも。。。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

はじめに

はじめまして。

 

彼が創価学会員だと発覚してから、いろいろと考えても、いまだに関係をどうしたらいいのか決めきれず結局悩んでしまうので、捌け口を作ること、彼とのやりとりの記録、自分の考えの整理をするために始めました。

 

けして批判のためのものではありません。しかし、私自身無知な部分が多々あり、どうしても批判的な内容になる部分もあると思います。

それをご了承頂いた上で読んで頂ける方は、過剰な苦情はお控え頂けますようお願い致します。

もしも、同じような悩みを持つ方が見てくだされば、お互いに意見交流ができたら、、とも思います。

 

文章を書くことには慣れていないので、読み辛いものになるかと思います、いつまで続くかわかりませんが、よろしくお願いします。