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創価彼との将来に悩むログ

無宗教アラサー女が創価3世の彼との将来に悩む過程の記録、頭の中の整理、捌け口。

彼が話してくれたこと

 

前記事で触れた話し合いの際に彼が話してくれたことをまとめます。

 

◆彼が信心するまでの生い立ちと、彼の家庭環境

 

・父側の祖父が学会員の3世

・母は結婚と共に入会、始めは活動をしていなかったが、父の仕事がうまくいかずふさぎ込む時期があり、その時に助けになったのが創価学会だったことがきっかけで活動するようになる。

・実家では両親合意で会合を行うこともある

・姉の旦那さんは無宗教(最近出産したばかり)、兄の彼女(両親に紹介済)も無宗教

 ・彼本人は大学までは会合も行ったり行かなかったりで特に信心していたわけではなかった

・大学で一人暮らしを始めた時に、その地域の学会員に(人の縁的な部分で)とてもお世話になったのがきっかけで信心・活動するようになる

 

 

◆彼の現在の活動状況

 

・毎朝晩の勤行(お題目)※私といる時はしない

聖教新聞の購読(家に結構な量が溜まっていて、ビニールがかかったまま読んでなさそうなのも結構ある)

・週1ぐらいで会合に参加(たまにそれで予定を合わせられない時もあるけど、私との予定を優先させてくれる時もある)

・月1で夜の警護?(会館の受付とか・・・って言っていた)をしている

・今は折伏はしていない

・選挙は自分を学会員だと知っている人にはお願いする(毎回気が重いと言っていた)

・クリスマスなどのイベント事は積極的ではないが、しないわけではない。お寺や神社は行くことはできるけど、お参りはしない。(まだ知らなかった時に一度お寺についてきてもらったことがあるが、お参りする私の横で突っ立っていた彼に違和感を覚えたことがある)

 

 

◆彼の信仰のスタンス

 

※これはまだ話し合い段階であり、現時点で私がそう理解していること。真意かどうかはまだ探り中。

 ※下線は私の憶測を含む

 

信心するきっかけになったことや、信心してからも(転勤先など)創価というネットワークのおかげで助けられてきたことが彼にとっては大きいようで、彼曰く、「人の縁があるあたたかい場所」である。

自分も人の為に役立っていきたいし、大学時代にお世話になった地域で恩返ししたい気持ちが強い。(現に転勤先として希望を出している)

→会合に参加している理由になっているのかも

 

創価学会の教えについては、あくまでも自分の考え方の基となるもので、創価学会の考え方=自分の考え方ではない。

自分と自分の周りの人たちが幸せになるためのもので、そのために頑張っている。

疑問を感じることはあるが、そこも含めてもっと勉強をしていこうと思うと言っていた。

 

勤行についても、「願いを叶えるためのもの・祈るもの」とは思っておらず、それをすることで自分の気持ちの切り替えだとか、「1日頑張ろう!」と自分を律するためのようなものであると言っていた。

 

 また、今年から新聞を読んで、いいなと思った言葉とかを切り抜いたりメモしたりするノートを作ったと、言っていたけど、多分それも聖教新聞のことなんだろうな、と思う。

 

 

◆私が彼に質問したこと

 

今はただ漠然と”もし結婚したら問題”が不安で仕方なかったので、ネットで見た情報を頼りに彼に簡単に質問したこと。

 

 「結婚したら私も入会しないといけないの?」

 「入会しなくてもいいし、勧誘もしない。もし入会するなら、自分で良いと思ってからにして欲しいし、逆に良いと思っていないのに入会するのは違うと思う。宗教は軽い気持ちでやるものではない。」

 

「結婚式は創価のやり方でやるの?」

「そうしている人もいるけど、必ずしもそういうわけではない。ただ、牧師さんとかを呼んだりすることはできないから、人前式という形にはなるけど。現に姉の結婚式(相手は無宗教)は一般的な式場で友人も呼んで普通の人と変わらないやり方だった。」

 

「 お金はかかるの?いくらぐらい出すものなの?」

「年に1回財務があるけど、寄付っていう形で必ず出さなければいけないわけではない。自分もしているけど、自分は生活が第一であっての宗教だと思うから、負担がかかるような額ではない。もし結婚したらお金の管理は(私)に任せたいと思っている。」(ここは私の感覚がわからないから変に誤解させたくなかったのだと思うけど、金額までははっきり答えてくれなかった)

 

「家に学会の人が来たりするの?」

「家にくることはない(断言)。家で会合をしている人もいるけど、うちではやっていないし、結婚しても(私)の了承を得なければやらない。実家では会合することもあるけど、それは両親合意の上でやっていること。」

(私が一番知りたかったのは「家に学会の人が(勧誘に)来たりするの?」だったのだけど、、、この時はちゃんと聞けなかったので、また次回リベンジします。。)

 

 

 

 

彼から話を聞く限りでは、私も宗教の在り方としては理解できなくはなかった。なんというか、まあ宗教ってそういうものだろうな、と思った。

 

話す前に、あまりにも創価学会側に偏った意味のわからないことを言われたら、愛想が尽きるかもしれないとも思っていたけど、なんだか拍子抜けした。

 だからこそ私のつるつるに近い脳みそでこれを論破しようとするのはとても容易いことではないな、とも思った。(別に論破しようとしてるわけじゃないけど)

 

彼の話してくれたことを理解はできるけれど、アンチフィルターのかかっている私の耳では彼の言葉が100%信じられなかった。本当に信じていいのか?拒否されないように選ばれた言葉に騙されているだけなのでは?という気持ちがどうしてもある。

 

彼が今まで創価学会の話をしなかったのは、やはり知られて拒否されるのがこわかったからだそう。話を聞く限りでは過去にそういう経験があるようにも聞こえる。

私が将来を不安に思っていることを打ち明けたあとに会った時、何も話さなかったのは、私が何を不安に思っているかわからなくて、何から話せばいいかわからなかった、急に「創価学会はね・・」と、私の不安と別ベクトルの話を一方的にしても余計に怖がらせるだけだと思ったし、理解を強要しているみたいになるのが嫌だったから、と自分から話せなかったことを謝ってくれた。

 

話し合う最中も、私が何か話そうとすると、自分が話そうとしていたことは一旦ひっこめてちゃんと聞く姿勢をとってくれる。

付き合った当初からそうなのだけれど、彼はとても寛容で優しく、私の意見をいつも尊重してくれる。

話し合ったことで、そのことを再確認したし、こういう他人に理解を示そうとしてくれるところだったり、人への恩を(社会人なので形式上な時もあるけど、それでも基本的には)重んじるところを好きになったのだなと改めて思った。

 

 

私が創価学会のことを知らないせいで、話を詰めることができない。

何から話せばいいのかわからない私と同様に、彼もそうなのだろう。

私はずっと、彼から話を切り出してくれることを望んでいたけど、嫌われるかもしれないと思うことを自分から話すことは簡単ではない。

話し合いをする上で、まず私が不安・疑問に思うことを彼にぶつけなければ話が進まないと思った。とても当たり前のことだ。

 そのためには、創価学会をもっと知る必要がある。

 

正直、創価のことを考えている時はとても疲れる。私の性格上、考えすぎるところがあり、そういうスイッチが入ってしまうとどんどん深みにハマっていく。

彼が創価だと発覚してからは、ずっとそのスイッチが入りっぱなしで、「もう疲れた、そもそも悩む必要があることなのか?やはり別れた方が・・・」と何度も思った。

 

彼は「(私)のことを大事に思っている、こんなに人を思ったことは今までなかった。ちゃんと将来のことを考えて付き合っているし、時間はかかるかもしれないけど、少しずつでも不安を取り除いていけるように自分もちゃんと向き合っていく」と言ってくれた。

 

だから、私も自分のできるところまでちゃんと彼と創価学会に向き合っていく決心がついた。

それでこのブログを開設するに至ったわけでございます。。